プロフィール
私の生い立ち 〜 心に太陽を持て 〜
昭和31年(1956年)2月22日
飯田市上飯田高田区(現高羽町)生まれ
飯田市職員であった父親は、1965年11月30日、
豪雨の中を同僚と水道施設の保守に出かけて、車ごと谷底に転落して殉職した。
康晴は小学校4年生、二人の妹の下はまだ4歳だった。
丸山小学校、飯田東中、飯田高校を経て、昭和49年京都大学法学部入学。
昭和54年3月大学卒業、
同年4月飯田市役所就職。
その後、母親は飯田市の臨時職員になって3人の子供を育てた。
康晴は大学を卒業後直ちに帰郷し、飯田市役所に奉職した。
保健課、税務課、企画課などを経て平成16年6月合併対策室(係長)を最後に退職。
「仕事以外の時間は全て地域奉仕活動に捧げたい」という本人の信条から、
公民館活動、地域自治活動、PTA活動に熱中した25年間であった。
東野公民館広報委員15年
高羽町東分館役員
慈光保育園保護者会会長
丸山保育園保護者会会長
丸山小学校PTA会長
丸山小学校評議員
東野の大獅子のメンバーとしてお練りの年は熱中した。
東野大獅子をはじめ飯田市の誇る「獅子舞の文化」を全国に知らしめたいという願いを持っている。
高羽町東青年会会長
高羽町東壮年会役員
東野大獅子保存会副支部長
高羽町東自治会監事
平成16年10月 市民と市役所の壁を取り払い、
市民が原点の飯田市政を実現すべく、飯田市長選に立候補するも次点。
その後は飯田市に行政書士事務所を開く。
その後、20年余り在宅介護してきた母親を亡くした。
「康晴、皆様に恩返しをしなさい」が遺言であった。
現在
平成19年の県議選に立候補し初当選を果たす。現在3期目。
第93代長野県議会副議長(平成27年度)
会派「信州・新風・みらい」代表代行など歴任
家族
妻と地元企業で働く長男、長女、大学院生の二男は名古屋市。
恩師の励まし
父を亡くした時に、小学校の恩師毛涯章平先生(現豊丘村教育委員長)から一冊の本を贈られた。この本は先生が子供の頃、お兄さんから贈られたもので、何回も何回も読み返された先生の一番大切な古い本であった。本の名は、山本有三著「心に太陽を持て」。今度は康晴の一番大切な本となって、いまでも時々手に取ることがある。

小島康晴
小島 康晴(こじま やすはる)
【趣味】囲碁、スポーツ観戦
【好きな言葉】
「誠実」
「夢実れ 真珠の願い 青空に」
「心に太陽を持て」

昭和32年、父に抱かれて。 父親と二人きりで撮った唯一の写真である。仕事一筋の人であったが、とても子煩悩だったと母から聞かされた。


昭和40年、康晴9歳の夏休みに一家そろって駒ヶ根高原へ。家族と一緒に遊ぶことのほとんどなかった父だが、これが最後の旅行となってしまった。


悲しみの父の葬儀。 一緒に殉職した同僚との合同葬で、本当にたくさんの人が参列してくれたことを覚えている。


女手ひとつで頑張っている母親をみると、しっかり勉強をしなくてはと思った。高校入学。胸には母からのお祝いの万年筆が光っている。


大学一年、クラスメートと。この時代からすでに卒業後は、飯田へ帰って家族の面倒を見ることと、郷土で何か人の役に立つ仕事をしたいと、心に決めていた。前列中央が康晴。


昭和54年市役所に奉職。人のためになる仕事が本当に楽しく、夜遅くまで頑張ることが出来た。


【小島一家の人形】小島一家の人形は、去年の人形劇フェスタの感想文に子供が入賞。その賞品として貰ったもの。


大いなる決意をもって平成16年6月、飯田市役所退職。